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聖徳太子(厩戸王)

しょうとくたいし(うまやどのおう)

 

■「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡(おくりな)である。

■「厩戸王」という名は第二次世界大戦後に推定されたものが広まった名で、古代の文献にはみられない名である。歴史学者小倉豊文が1963年の論文で「生前の名であると思うが論証は省略する」として仮の名としてこの名称を用いたが、以降も論証することはなく田村圓澄が1964年発刊の中公新書聖徳太子斑鳩宮の争い』で注釈なしに本名として扱ったことで広まった。)

 

■古代文献では下記のような名とされている。

「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)

「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)

「豊耳聡聖徳」や「豊聡耳法大王」

日本書紀』では、名前から「上宮厩戸豊聡耳太子(うえのみやのうまやととよとみみのひつぎのみこ)」と呼ばれたとしている

 

 

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